1982年3月31日
茨城県筑西市(旧明野町)生まれ
栗農家の長男として生まれる。兄弟は妹と弟の3人兄弟。
小学校4年生の時に剣道を始める。(現在も地元クラブで継続中。)中学校を卒業後、県立下妻第一高等学校、国士舘大学法学部を卒業し、一度飲食業を経験したくて2年間ドリンク作りや調理など一通り経験する。この時にクラフトビールとエスプレッソを使ったアレンジコーヒーにハマる。
その後、家業を継ぐため就農。剣道が縁で妻と結婚し、男の子が2人生まれて2人とも剣道を始めたことで、いつの間にか剣道一家に。
現在、未来に渡せる栗農家を目指し奮闘中。
趣味 キャンプ、BBQ、料理、読書(マンガ含む)、ブルワリー巡り、剣道(現在、六段。七段に向けて修行中)
好きなもの ビール(特にクラフトビール→IPAが好み)、コーヒー
私は栗農家の長男として生まれました。幼いころから栗はあたりまえに身近にあり、秋になると地元の方が栗拾いのお手伝いに来てくれたり、直接栗を買いに来られるお客様もいて栗を通して人が集まっていることに子供心にちょっと誇らしい気持ちもありました。
それから約30年、茨城県は栗の生産量第一位の県ですが、実際は栗農家の数は半分以下に減少しています。大きな理由として生産者の高齢化による後継者問題、昨今の天候の変化、市場価格の下落などがあげられます。現在一部では「儲かる笠間の栗産地協議会」なども組織され、栗の価値をあげる動きもありますが、全体で見るとまだまだ足りない印象です。このままではいつか美味しい栗が食べられなくなる日が来るかもしれません。
私は秋に栗を食べることは文化だと思っています。(個人的には熟成栗の専門家なので冬もと言いたいですが・・・)昔は山に入って汗をかきながら栗拾いをして、持ち帰った栗を茹でたり、栗ごはんにしたり、もっと手間をかければ甘露煮や渋皮煮、そんな大変な思いをしてやっと食べられた栗の味は格別だったことでしょう。
そして、それを家族や身近な人と共有していたと思います。きっとそこには笑顔があってそれが記憶に残り、やがて受け継がれ文化になっていたと思います。
現在では、そこまでの体験は難しいとしても栗農家がいれば美味しい栗を味わってもらうことは可能だし、もっと言えば、モンブランや栗きんとんをはじめとする栗菓子などの加工品、焼き栗や生むき栗などの一次加工品でより手軽に味わえる時代になっています。
栗農家が生き残り、栗文化を未来につなげていくために栗の価値を見直してもらいたい。その為には高品質な「いい栗」が必要不可欠です。
以前、直売所の店頭でお会いしたお客様から「栗はあたりはずれがあって・・・。」という話を聞きました。いろいろな意味にとれる言葉でした。鮮度の問題、甘い甘くない、美味しい美味しくないなどの味の問題、そして栗という作物の性質上どうしてもついてくる虫食いや傷みなどの選別の問題。
その時にお客様が安心して食べてもらえる栗でなくてはならない。と思いました。いつでも鮮度抜群、甘くて美味しくてなかなか難しいですが不良果がない栗。そんな栗があれば食べてくれた人が笑顔になってくれると思い、そんな栗を目指すようになりました。
栽培方法、熟成方法、選果技術の向上など課題はたくさんありましたが、試行錯誤の末、「いい栗」と呼べるものが出来たと思います。
私の目指す「いい栗」は食べてくれた人を笑顔にしてくれる栗です。
初代 吉原 隆(たかし)創業
筑西市内(旧明野町)の山林を切り開き、50本の栗の苗を植えたのが始まり。
その後徐々に増植、植え替えを行いながら現在、約1000本の栗の木を管理している。
隆は全国栗研究会などにも積極的に足を運び、弊園の栗栽培の基礎を築いた。
二代目 吉原 章(あきら)
二代目章によって市場出荷に加えて加工業者との取引も始まる。このころになると、茨城県が栗の生産量で第一位となった時期でもあり(現在まで第一位継続)新しい品種も開発されて加工業者の好むものを提供できるようになった。
三代目 吉原 壱(はじめ)